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季刊紙いぶきメッセージ

2016年12月20日 (火)

2016年12月1日 季刊紙『いぶき』巻頭メッセージ

■そのように生きただろ……
 昨日、台湾から帰国しました。台北〜雲林〜嘉義〜高雄〜台東〜花蓮〜台北と西海岸から東海岸に抜ける台湾一周の旅となりました。さすがに一週間では駆け足ですね。
 3.11東日本大震災直後からここ東北の被災地にボランティア・ワーカーを派遣し続けてくれた台湾基督長老教会(PCT=以下台湾教会)の皆さんにお会いするため台湾を訪問、今回もたくさんの励ましと祈りのうちに過ごすことができました。 
 五年間毎夏! 台湾全土から応募してきた若者たちを七〜八名のチームに編成し、二週間ずつ東北教区被災者支援センター・エマオに派遣してくれました。もちろん全費用は台湾教会と参加者の自己負担。ほとんどが学生や社会人の若者ワーカーですが、ある年は壮年の専門職「大工さんチーム」がご自分の愛用道具箱を持参し支援してくれました。台湾からの全ワーカーは実に二六八名にのぼります。毎年五〇数名の台湾の友が真夏の仙台の諸教会に寝泊まりし、地震と津波の現場にその身を置いて働いてくれたのです。言葉の通じないワーカーたちを仙台荒浜や石巻の被災者の皆さんが笑顔で迎え、それぞれの地域で共に瓦礫の撤去や泥掻き、農作業に向き合いました。台湾の大都会である台北市や高雄市出身の若者たちは「庭の草取りすらしたことがない…」というなか、泥だらけになりながら汗を流してくれました。
 台湾教会から派遣された沢山のワーカーが、お訪ねした台湾各地で私たちを待ち構えていてくれました。被災地での思い出、被災地に身を置くことで知らされ示されたこと、被災者やワーカーたちそれぞれの近況報告などを、久しぶりの濃密な再会の喜びと共に分かち合いました。
 行程途中の日曜日には二年前の訪問以来親交を深めている郭世宗牧師の橋頭教会で礼拝宣教を担当させていただく光栄に与りました。待降節第一主日礼拝を大汗の暑い台湾で迎える稀有な体験です。若い家族や子どもたちで溢れる賑やかでにこやかな教会、礼拝直後には教会員持ち寄りのポットラックパーティーで嬉しいひととき、そしてまるで「映画俳優のような扱い」で全家族と次々に記念撮影も…。帰還して計ったら体重は三㎏増加しておりました。
 台湾東海岸は台風の通り道です。オキナワや九州が台風直撃を免れた…との報道にこれまでホッとしていたのですが、その裏に台湾直撃という現実への想像力が欠落していた自分を恥じます。東海岸の台東や花蓮で今夏の台風被害の現場をお訪ねしました。三度の台風直撃で農作物が壊滅的な被害を受け、暴風雨で住居も倉庫も失った人びと…その傍らに、台湾教会の細やかで力強い支援が紡がれていました。行政が見落としている、より小さく弱くされている人びとに真っ先に駆けつける台湾教会の働きに問い掛けました。「なぜそんなことができるのか?」。それに即答、「うん? だってイエス・キリストは、そのように生きただろ?」。イエスの誕生日を迎えます。クリスマスおめでとう。
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2013年5月 4日 (土)

優しさに満たされて

 十一月の深夜、ケータイが鳴り嫌な予感がしました。案の定、画面は登録した母の名前でしたが、電話口には一回り年上の従兄弟の声が……。初めて、肉親を失うという体験をしました。真夜中の北陸道を走りながら、いつかこの日が来ることは判っていたのですが、あまりにも突然の出来事で実感が湧かない自分が誰か別人のようでもありました。
 父は築四年後の自宅で生まれました。そして五〇年間の牧師生活の後、その生家で穏やかに過ごしていました。召される五日前には夫婦でバス旅行を楽しんだそうです。そして、二日前にはいつものように出身教会で、やはり夫婦で礼拝を捧げました。生家で召され、出身教会で葬儀が執り行われました。とても不思議なことですが生まれた自宅で召され、キリスト者として誕生した教会で葬儀が行われる……。全てが神の計画のうちにあったのだ、と意味深く受け止めています。
 穏やかな表情で横たわるその顔を眺めながら、現実を受け止めはじめました。たくさんの情景を思い出していました。妻の立場で母は、私たち子どもや孫とは別の感覚だったでしょう。けれども私たちにとっては、家族を大切にする優しさに満ちた人であったことは確かです。それは父自身の贖罪だったのかもしれません。
 「憂える人」でした。十二番目の末息子で家業を継いだにも関わらず牧師になる決意の故に勘当され、その後何十年経っても泣いて止める母親を振り払って家を出た情景を夢に見て、うなされていたそうです。その憂いは、牧師として着任したいくつもの教会で常に貧しい人びとと共にあることで、解消されるどころか増幅していったに違いないと想像しています。貧しさを強いている現実、この人びとを弱く小さく「させている」のは誰か、なぜこのようなことが……。憂いと共に怒りと呻きに満ちた八十三年をしっかりと生き抜いた、と信じています。横たわる穏やかな表情は「憂える人」の文字通り「優しさ」に満たされていました。
 彼をそのように生かしたのは、弱く小さくされた人を憂い、その人に寄り添い続ける神です。彼が信じ従ったのは、強く大きな人に抗い続ける神です。そのような神の誕生を、今年もまたご一緒に祝います。クリスマスおめでとう。
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↑2013年1月2日、滋賀の水口教会墓地での納骨式。

イエスの死と復活

 日曜の礼拝には牧師カラーのシャツを着ているので、ここ二〇年ネクタイとは無縁です。お洒落な友人牧師の幾人かは、日曜は牧師シャツだけれど週日はネクタイを着用、ということもありなのですが、とにかく二〇年間私には無縁でした。ところが……。二月に本当に久しぶりにネクタイを着用。というのも台湾に行った友人が、かの地のお土産としてプレゼントしてくれたものですから。
 別の友人は「これはパーティーグッズか」「これを着用しろとは、もはや嫌がらせかイジメでは」と言うほど濃厚なデザインなのです。黒字に白色や金色のプリント、十字架からロープで降ろされるイエス、天上には雲の合間から三人の天使たち。プレゼントされた時、私はいつものように黒シャツ、黒パンツ、黒ジャケットでした。着用してみると、色合いは確かに統一感がありますが、とても外出できない装いです。「知らない人だったら絶対目を逸らす」というコメントももらいました。「知ってる人でも知らないフリ」間違いなしのデザインです。
 聞くと、台湾のキリスト教用品店で購入とのこと、牧師であることを告げると全品二割引きなのだとか。だからといって……。確かに受難節、この季節にぴったりのデザインなのですが、外出するには相当の覚悟が必要です。外出どころか礼拝に着用するのも躊躇われますので、いつ皆さんにご披露できるでしょう。
 東日本大震災から一年になります。受難節に入って三日目のことでした。もう一年か、という思いと、まだ一年という思いが交錯します。遠い昔のことのようであり、今もなお直面する大きな課題の数々に震える思いがします。イエスの苦しみを思いながら、私たちが抱える課題の重さを思う時、途方に暮れるほかない、という言葉に幾度も遭遇します。まだまだ遠い道のり、この厳しい「時」のただ中にあって祈りを紡ぎ合わせながら過ごしたいと願っています。
 いと弱く小さくされた人びとと出会い続けたイエス。十字架の上で殺されてしまったイエス。人びとに希望を示し続けたイエス。そして確かに私たちの希望の礎となってくれたイエスが、今この時も私たちと共に生きてくれています。イースターおめでとう。
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2013年5月 3日 (金)

人間を返せ

 隣で妻が絶句した…。久しぶりの朝寝坊を決め込んでいた僕はその気配で目が覚めた。「ちょっと! 平和がこれから船に乗って海上に出るって!」。妻から渡された受話器に向かって「とにかくライフジャケットだけは着ておけ」とベッドでつぶやいた。4月29日の早朝のこと。 
 前日、辺野古(オキナワ)入りした息子の平和から電話が入ったわけだ。てっきり黄金週間には帰省するものと思っていた妻はいっとき落胆したのだが、辺野古の「座り込み闘争」に自らの意志で参加することを決めた息子のことを、友人に少し照れながら、そして少し誇らしげに語っていた。浜辺での座り込みのことはあちこちから聴いていたし、自ら情報を収集していたので彼女もイメージだけは持っていたようだ。しかし「船に乗って海上やぐらに泊まるほどとは思わなかった」。 
 4月29日は僕の勤める教会でアースデイのイベントが開催された。平和運動を繰り広げている地元の仲間たちと企画してバザー、非暴力ワークショップ、戦争ホーキ作り、そして絵本ライブラリやら、ライブやら…。僕は無農薬香料無添加の「体にいいタバコ」を吹かしながら、これまた無農薬保存料無添加の体にいいワインを「実飲販売」してへろへろになっていた。 
 ブッシュがイラク空爆を行った時、ここ会津若松でも戦争反対の行進をした。ワシントン大行進にはとても及ばないが、それでもこの町で子どもや大人100名と犬数匹が歌を歌いながら吠えながら行進するのは画期的なことだ。すれ違う全ての人が振り向いた。通りに面した店の従業員たちが飛び出してきた。 
 「歩くことで何が変わる」と冷ややかに眺めていた友人は途中からメガホンを握りしめて声を涸らした。そいつは今回の行進では先頭に立って「We Shall Overcome」をシャウトした。この行進がきっかけとなり現在にいたるまで様々な平和運動をしたたかに重ねるグループが誕生。ワインの実飲販売でふらふらになった僕も、自作の戦争ホーキを抱えて歩き吠えた。 
 行進から帰着して開催した礼拝堂ライブにはAIZU Children's Choirはじめ5つのグループが出演し盛り上げてくれた。僕もドタキャンの穴埋めで一曲だけ歌うことになり、とっさに決めたこの曲をシャウトした。(■この曲は「来訪者落書き帳」でもご常連の鳥井新平師匠によるものです。)
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  ■人間をかえせ
    父をかえせ 母をかえせ 年寄りをかえせ
    私をかえせ 私につながる 人間をかえせ
     ※人間の 人間の世のあるかぎり
      くずれぬ 平和をかえせ
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    原発とめろ 核燃いらん 
    下北の大地は 農民にかえせ
    スリーマイル チェルノブイリ
    ヒロシマ ナガサキの事実見つめろ
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    基地をなくせ 基地はいらん
    オキナワの美ら海は ウチナーにかえせ
    辺野古をかえせ ジュゴンをかえせ
    生命を奪う 戦さをとめろ
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 辺野古で舟に乗り込む息子をイメージしていた。そして、その舟に一緒に乗り込むおじいやおばあや若者たちを想って歌った。不思議なことだが、翌々日の礼拝の聖書箇所は「わたしは漁に行く」と言うペトロと「わたしたちも一緒に行こう」という仲間たちの部分(ヨハネ福音書21章)だ。歌いながら舞台で震えた……。 
 息子は黄金週間の終わりとともに東京に帰った。けれども今日も舟に乗って沖にこぎ出す仲間がいることを決して忘れないでいるだろう。辺野古での決定的な出会いを携え昨日のペンテコステ礼拝で息子は受洗した。
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■「教会と聖書」誌 第40号より転載。

起きて 行け

 長い旅でした。仕事を中断し日常の全ての営みが断たれ、もちろんその旅に関わる高い費用は自己負担。嬉しい旅ではありません。その時代その地方の「高貴な方」の命令で、国中の人々がそれぞれの都合などお構いなしに強制的に生まれ故郷に帰らねばならない、命じられた道のりでした。身重の妻と共に埃っぽい道を経巡り、やっとあてがわれた家畜小屋での出産。衛生的に整えられた、恵まれた環境ではありません。
 突然のお告げで身重であることを知らされたマリア、そしてそのことを打ち明けられた連れ合いのヨセフも、このクリスマスの出来事をめぐっては沢山のことを思い巡らせました。迷いがあり、疑いがあった…。不安と怯えに襲われたこの夫婦に起こった突然の出来事、それがクリスマスです。周りの環境も、自分のこころの中もこの夫婦の予定や準備などはお構いなし。それがクリスマスなのです。
 なにもかもがヨセフには慌ただしいことでした。人々が蔑む職業であった羊飼いたちが生まれて間もない赤ん坊を拝みに来ました。ヨセフには見ず知らずの人々です。また、別の言い伝えでは遠い東の国の占星術の学者たちも同じように赤ん坊を拝みに来るのです。見ず知らずどころか、言葉さえ通じない外国人…。当時の人々の常識では地獄の火の焚き付けにされる異教の人々、外国人たちもこの生まれたばかりの赤ん坊を拝んでいる。慌ただしく忙しい、出産直後のことです。
 二人が味わった出産までの沢山の思いは、この時に生まれたその赤ん坊の顔を見た瞬間に全て吹き飛んだに違いありません。妻を気遣うヨセフ、痛みを乗り越えて出産という大役を果たしたマリアにとって、イエス誕生は、旅の疲れも為政者の勝手な命令も不衛生な家畜小屋も、もうどうでも良い。とにかく赤ん坊が生まれた。これまでの辛さや痛みを遙かに凌ぐ喜びと安堵を味わっただろうと想像しています。
 いまこの二人に必要なのはしばしの安息です。そして十分な安息のただ中で思い描く、この生まれたばかりの赤ん坊の未来への想像力です。この子にはどんな人生が待っているのだろう、そしてこの子の人生に両親である私たちはどのように重なりゆくのだろう。貧しくとも笑顔の溢れる家庭にしたい…。ささやかな願いや夢を十分に交わし合うことのできる時間がこの二人にはとても大切に思えたでしょう。しかし聖書は、そんな二人のささやかな願いさえも打ち砕く現実を伝えるのです。
 「起きて、行け」。問答無用の言葉です。ホッとする間もなく直ちに支度して「行け」と、神は天使を通して命じます。ヨセフにはヨセフの言い分があったでしょう。もう少し待ってください、いくらなんでも「たった今、直ちに」とは酷(ひど)すぎます。もう少し休ませてください。もう少し気持ちが安定すれば、もう少し自分にそれを聴くだけの余力があったなら…。けれども人間の都合などお構いなしの「神の側からの一方的な言葉」によってさらにヨセフとマリアの旅は続くのです。
 私たちの人生の旅路でも、ここに描かれているヨセフやマリアの姿にこの自分が重なり合うあのこと、このことが思い出されます。もう少し待ってください、今はまだその時ではありません…。そんな言葉を繰り返しながらこれまでそれぞれの旅を続けてきました。沢山の不満を抱きました。なぜあの人にではなく、この私になのですか、なぜ今なのですか。なぜ…? 
 人間の側の都合や計画をまるで無視するかのように神の計画は進みます。状況が整い安心して課題に取り組めることなど皆無で、不十分だったりまだその時ではないと思っている時にこそ大変な課題に晒されるのです。そんな私に聖書は語ります。
 「恐れることはない、私はあなたと共にいる」。ヨセフがそうであったように、聖書の伝えるこの言葉に賭けてみる。どんなに辛く厳しい状況の中にあってもこの言葉を生きようと決意したいのです。その約束を信じると同時に、悲しみに満ちたこの時代に共に生かされている他者を信じていたいのです。さあ、起きて、行こう。私たちに託されている希望を携えて生きよう。クリスマス、おめでとう。

インマヌエルが生まれた

 わが目を疑いました。画面によれば「太平洋の真ん中」を猛スピードで走っているのですから。慌てて愛車を路肩に寄せ、画面を調整して正しい現在地から再出発。しばらく走ると今度は「日本海」をひたすら爆走中…。そう、カーナビ(自動車搭載電子地図)が壊れてしまいました。

 とても便利な道具です。自家用車で初めての土地を訪れるときはもちろん、通い慣れたところでも目的地までの距離や到着時刻を示してくれるし、予想外の大渋滞でも抜け道に導いてくれます。そして到着すると、家族よりも先(!)に「運転お疲れさまでしたぁ」とねぎらってくれるのです。正常に動作していれば、大都会の複雑な車線変更も渋滞回避の裏道も問題なし。でも壊れてしまったら、自分の車がいったいどこに向かうのやら…。先の三重県出張では名古屋を抜けるのに大変なストレスを強いられました。

 暗く寂しい野原で羊の群れの世話をしていた羊飼いたちがおりました。羊は生き物であり、同時にお金に替わる大切な財産。けれどもその羊は羊飼いのものではありません。羊飼いは羊の持ち主に雇われてその世話をしていたのです。生き物の世話をするのは大変です。病気や怪我、羊を盗みに来る泥棒もいました。暗く寂しい野原で羊飼いたちはいつも緊張して羊の面倒を見ていました。

 そんな大切な仕事を他の人たちはバカにしていました。あいつら羊飼いは乱暴者だ、家の中ではなく野原で寝起きして汚い、動物の臭いがしてくさい、宗教的作法(律法)を守らない、あんな奴らは天国には行けない…。それが羊飼いに投げつけられる言葉でした。いつしか羊飼いたちも自分はダメなんだ、つまらない人間なんだ、神はこんな自分を守ってはいてくれないんだ…。そんな風に思いこんでしまったのかもしれません。暗く寂しいのは空だけではありませんでした。羊飼いたちの心も暗く寂しくなってゆくのです。

 突然空が明るくなりました。天使の歌声が空いっぱいに響きました。自分はダメだと思いこんでいた羊飼いたちに「真っ先に」イエスキリストの誕生が知らされました。羊飼いたちは家畜小屋に生まれたイエスの元へたどり着きその誕生を祝いました。

 荒れ地を競争する自動車ラリーで助手席に乗っているのがナビゲーターです。運転はドライバー、そして道筋や目的地を示すのがナビゲーター。イエスの誕生は名前も残されていない羊飼いへの約束です。「一緒に旅を続けよう。きみはひとりじゃない」。インマヌエル(=神は我々と共におられる)の誕生、心からおめでとう。

平和を実現する群となる

 妻が、また突然言い出しました。「まったく、もうっ! じっとしてらんない! あんた、やるからね!」。
 日本国憲法を「改悪」しようとする企てが着々と積み重ねられ、いまこの国はその実現に向けて突き進んでいます。教育基本法の改悪、国民投票法案が参議院でも可決し成立…。戦争を正当化する人々が勢いづいています。そんななか、妻が先のように言い放ったのです。
 決して「戦争」とは言わず「集団的自衛権」という言葉にすり替えて誤魔化そうとする日本政府。そのありように疑問を持ち抗議する仲間たちが集い「九条の会 西栄町学習会」が発足しました。2005年2月のことです。それ以来、この営みに関わるメンバーは毎月一回の定例学習会を堅実に続けています。
 学習会は日本国憲法や諸外国の憲法成立の過程はもちろん、アジアにおける日本の現状と課題、そこで生み出される連帯と平和、政府与党と大企業の目論見、など毎回主題を掲げて共に考え学ぶ出会いの場です。とても刺激的。平和を実現しようとする人々の大切な取り組みのために私たちの教会が用いられ活かされていることを感謝しましょう。
 じっとしてらんない妻の呼び掛けに応えた学習会のメンバーが中心となり憲法記念日の5月3日にピースウォーク9(ナイン)を行いました。詳細は教会サイトに報告されている通りです。教会の皆さんもゴスペルクワイアのメンバーも加わり賑やかな市内行進となりました。子どもも大人も、そして愛犬二匹も交えて市中心部を「平和憲法を守れ〜!」と叫びながら歩きました。
 冷ややかな反応があります。無関心な人々も当然いるのです。でも神明通りの店内から、渋滞待ちの車窓から手を振ってくれる沢山の人たちがいることに大いに励まされました。一緒に歩いた仲間はこの時代を生きる自分と次代の生命を思い叫び声を挙げました。自分のために挙げたその声が、この街に住み同じ思いを抱く「静かな人々」への連帯と励ましになったと信じています。
 非情な仕打ちを強いられ、弱く小さくされた人々に寄り添ったイエス。生命をないがしろにする企てに生命懸けで否と叫んだイエス。そのイエスを信じそのイエスに従うのが平和を実現する「教会」という群なのです。

嬉しく素敵なお祭り

 クリスマスの物語には沢山の人物が登場します。イエスの母マリア、マリアの夫ヨセフは数々の絵画にも描かれているので有名です。けれども聖書には名前も残されていない人々がクリスマスの物語に登場し、とても大切な役割を果たしています。
 遠い東の国で星占いをする人たちがいました。外国人です。当時の人たちは自分たちだけが偉い、自分の国の人たちだけが神さまに守られている、と考えていました。外国人に神さまのお守りはない。そのように言う人たちを私たちは決して笑えません。この国の人も同じこと考え韓国や中国、台湾、他の沢山のアジアの国の人々をバカにし、殺してきたのですから。そしてそれはひょっとしたら、今も…?
 星占いの学者たちは夜空に輝く不思議な星を見つけました。世界中の人を愛する神さまの子どもイエス・キリストが生まれたことを知らせる星。その不思議な星を目指して遠い外国から旅を続けていました。
 いまの時代とは違います。「旅」は無事に帰ってこられる約束のない、命がけの道のりでした。自分の故郷を後にして、家族や友達を残して出かける道のりです。そしてこの星占いの学者たちにとっては時間も行き先も判らずに続ける旅。しかも星をたよりにするのですから、暗く寂しい夜の道を往くのです。やがて彼らもイエス・キリストにたどり着きます。たったひとつのもの。暗闇に輝くその星だけを目指してその「幼な子のいる場所」にたどり着くのです。
 一年前も、私たちはいつもと同じようにクリスマスのお祝いをしました。あれから一年…。沢山、嬉しいことがありました。楽しいことも、笑ったこともいっぱいあります。けれども辛く寂しいこと、悲しいことも沢山あったことを思い出しています。まるで暗い夜を過ごした羊飼いや、暗闇を旅した星占いの学者たちのような気持ちにもなりました。
 失敗をしました。大好きな人や仲良くしたい友達を悲しませもしました。大切な家族や友達をなくし、別れの寂しさにもおかれました。
 私のまわりだけではありません。世界のいろいろなところで、自分と違うという理由で憎しみと争いが重ねられ、人間が人間を傷つけ殺しています。二十一世紀こそ平和な時代にしよう、とあれだけ強く決意したのに、いまこの時も世界のいろいろなところで殺し合いが重ねられています。日本の自衛隊という軍隊が武器を持って殺される前に人殺しをしても良いと言われてイラクに出かけました。アメリカの軍隊が日本に居座り続け、オキナワやイワクニやその他の基地の街に住む人たちに犠牲を強いています。それを日本は沢山のお金で支えているのです。そして遂に、戦争をしない国の法律を変えよう、戦争できる国になろうという人を総理大臣にまでしてしまったのです…。
 クリスマスは「嬉しく素敵なお祭り」です。と、同時にクリスマスは私たちの決意の時でもあるのです。大切な自分と、大切な人をこれからもずっとずっと大切にして生きていくことの決意。そして好きになれない人、ひょっとしたら好きになれないこの自分をも大切にしていく決意を胸に刻む時。それがクリスマスです。